月3万円が救いだった話(金額じゃなく、自分で引いてきたから)
「月3万円じゃ生活できないじゃん」
これは、引きこもりの金の話をすると、一番最初に返ってくる感想だと思う。
もっともだと思う。家賃払えない。外食できない。社会人が聞いたら鼻で笑う金額。
でも引きこもりの文脈だと、この3万円の重みは、社会人の手取り30万円と同じか、下手するとそれより重い。
その内訳の話を書いておく。
大前提: 生活費は、たぶん親が出してる
引きこもってる自分の月の支出を、フラットに見ると、
- 家賃・食費・光熱費 → たぶん親が出してる(実家にいるなら)
- 日用品 → 半分ぐらい親経由
- 残り → 自分のちょっとした欲求(漫画、ジュース、たまの外食)
つまり、生活の土台は親が持ってくれてる状態で、自分が稼ぐべき金の正体は、「自分のちょっとした欲求」を賄う金だけになる。
そう考えると、月3万円って、「ちょっとした欲求」に対してはかなり余裕のある金額だったりする。
月3万円で何ができたか
実際に自分が引きこもってた時期、月3万円あった月にできたこと:
- 漫画の新刊を月5〜6冊、気兼ねなく買える
- 深夜のコンビニで、親に確認せず好きなもの買える
- 欲しかったイヤホンを、親に頼まずに買える
- 年に何回か、散髪に行ける(1回3000〜4000円)
- 歯医者の自費診療費も、自分で出せる
- ときどき出前を頼むのも、自分の金でいける
これ、引きこもり当事者じゃないと分かりにくいかもしれないけど、全部、引きこもってる間に「別にいらない」ことにしてきた項目の復活だったりする。
月3万円で、「別にいらない」を外せる項目がひとつずつ戻ってくる。
これは、社会人の月30万円が食事のグレードを上げるのとは、重みの種類が違う。
金額より、「自分で引いてきた」の方が大きかった
もうひとつ大事なのは、この3万円が、自分で引いてきた3万円だったことだった。
仮に、親が「月3万円あげるよ」と言ってくれたとする。それでもたぶん、同じ効果は出ない。
なぜかというと、自分が動いた結果としての金と、人からもらった金では、自分の中の位置付けが全然違うから。
自分で引いてきた3万円は、
- 誰にも頭を下げていない
- 「何に使ったか」を報告する必要がない
- 来月も自分で引けば、また手元に来る
この三つが揃うと、金額の数字以上に、精神的な自由度が高い。
「親からもらう3万円」は、毎月の関係性の上に乗ってる。「自分で引いてくる3万円」は、自分の手元で完結してる。
10万円や30万円じゃなく、「3万円」だった理由
もう少し稼ごうと思えば、たぶん稼げた時期もある。
でも自分の場合、3万円を超えて本格的に稼ぎに行こうとすると、ポイ活だけじゃ足りなくて、もうちょっと本格的な労働に寄せる必要があった。
本格的な労働に寄せると、今度は、
- やらなきゃ、という感覚が出てくる
- 誰かとやり取りする必要が出てくる(メール、電話、納期)
- 稼げないと焦る
このあたりで、引きこもりの生活と相性が悪くなる。
3万円ぐらいなら、ポイ活メインで、のんびりやっててもなんとかなった。5万円は頑張れば、10万円は本気出せば、だけど、その「頑張り」や「本気」が、引きこもりとしての生活の快適さを削る。
だから、自分の場合は月3万円が一番コスパが良かった。
もっと欲しかった時期ももちろんある。でもそれは次のフェーズ(引きこもりから半分出かけた時期)の話で、引きこもりのド真ん中にいる間は、3万円ぐらいが一番、生活と噛み合ってた。
引きこもり当事者にとっての3万円の意味
まとめると、引きこもりの月3万円は、
- 生活の土台を崩さずに、「ちょっとした欲求」を全部賄える額
- 「別にいらない」を一個ずつ外していける額
- 自分で引いてくる、という形が精神的に一番効く額
- ポイ活メインで、生活の快適さを崩さず届く額
これを「少なすぎる」と言うのは、社会人の視点の話で、引きこもり当事者の視点だと、ちょうどいい手応えの数字だったりする。
大きい金額を目指さなくていい。
月3万円で、生活の重みはけっこう変わる。