コンビニで財布を借りる罪悪感が消えた日
引きこもってる時、親から「コンビニでこれ買ってきて」と財布を渡される、あのシーンが地味にきつかった。
財布を渡されるたびに、自分の位置が確認される
親としては、別に意地悪で渡してるわけじゃない。「ついでに自分の分も買っていいよ」みたいな、むしろ優しさで渡してることが多い。
でも受け取る側としては、その財布を受け取った瞬間に、「ああ、自分はこの家で金を持ってない側だ」ってことが、物理的に確認される。
- コンビニに着く前に、自分の分を買うかどうかで悩む
- 買うと決めたら、親に後で「これ買った」と報告するシーンを想像して気まずくなる
- 買わないと決めたら、自分のちょっとした欲求を押し殺す
どっちを選んでも、帰りの数分間は、なんか心が重い。
お釣りを返すときの、微妙な空気
もうひとつしんどいのが、帰ってきてお釣りを返すときの空気だった。
「はい、お釣り」って普通のトーンで渡せばいいだけなのに、その瞬間だけ、親子というより、お使いを頼んだ大人と、お使いをした子どもに戻る。
自分が子どもに戻ってるっていうより、自分が子どもの位置にしかいられない事実が、一瞬見える。
別にお釣り500円とかの話じゃない。500円のお釣りが、自分の社会的な立ち位置を可視化する、みたいな重さがあった。
ポイ活で貯めた金で、初めて自分のお茶を買った日
状況が変わったのは、ポイ活で少しずつ自分の金が手元にできてからだった。
いつも通り「コンビニでこれ買ってきて」と財布を渡された日に、自分のお茶を、親の財布からじゃなく、自分の財布から出したことがあった。
正確には、自分の銀行口座に入ってたポイ活換金分から引き出した現金。
やってることはコンビニで飲み物一本買っただけ。傍から見たら何も変わってない。
でも、帰り道の空気が、驚くほど軽かった。
- 親のお金じゃない物を、自分は今持ち帰ってる
- お釣りは全部返せる。自分の分を差し引く必要がない
- 気まずさを、こちらから取り除ける
150円のお茶一本で、こんなに変わるんだ、と思った。
金額じゃなく、「独立した財布」を持てたかどうか
この経験で分かったのは、引きこもりのしんどさの一部は、「親の財布と自分の財布が物理的に同じ」ことから来てるということだった。
- 親の財布から出た金で、自分の物を買う
- お釣りを返すときに、自分の取り分を申告する
- 自分のちょっとした欲求も、親経由でしか満たせない
この三つが重なると、大人になった自分が、家の中では子どものポジションから動けない感じがする。
対して、小さくても自分の財布が独立してる状態だと、
- コンビニで自分の分は自分の財布から出す
- 親の財布のお釣りは全部返す
- 「ちょっと欲しい」を、自分の判断で完結できる
金額は月1万円でも5000円でも、極端な話、数千円でもいい。
独立した財布がある、という事実そのものが、家の中での自分の姿勢を少しだけまっすぐにする。