お金の苦しさ

親に小遣いをもらえなかった頃の話

引きこもりになると、家の中から「小遣い」という概念が静かに消えていく。

誰も「今月の小遣いは無しにするから」なんて宣言しない。ただ、いつの間にか、渡されなくなってる。

小遣いが消える、あの空気

高校生の頃は普通にもらってた。大学に行ってた頃はバイト代で回してた。

引きこもり期に入ってしばらくすると、**家の空気としてなんとなく、「働いてないのに小遣いは変だよね」**という了解が、誰にも言われないまま成立していく。

問題は、小遣いが消えても、生活は消えないことだった。

髪は伸びるし、歯磨き粉は切れる

生活の出費って、驚くほど切り下げられない。

全部、月にするとたぶん数千円の世界。でも引きこもりで収入ゼロだと、その数千円をどう引っ張ってくるかが、毎月の小さなサバイバルになる。

一回一回、親に「シャンプー切れた」「歯磨き粉欲しい」と申告する。

大した額じゃないのは分かってる。でも、申告するたびに、自分が家計の「支出項目」として意識される感じが、回数を重ねるほど重くなる。

「働け」と言われないけど、働いてない事実はある

多くの親は、引きこもりの子に毎日「働け」とは言わない(言う親もいる、それは別の話)。

言わないけど、自分が働いてないことは、家の中の空気として常にある

そこに、日用品の申告が重なると、「自分は家の中で、何も生産せず、消費だけしてる」という構図が、毎週のように、自分の中で描き直される

これが、地味に効く。

働けと言われてないのに、自分で自分に「働け」と言ってる状態になる。それが寝る前に襲ってきて、眠れなくなる夜が増える。

ポイ活=自分だけの小遣い制を、自分で再起動する

この詰みから自分が抜け始めたのは、ポイ活で月3000円とか5000円とか、「小遣い相当」の金を引っ張ってこれるようになってからだった。

いきなり生活費全部を賄おうとすると、難しい。最初の一歩として効いたのは、消えた小遣い制を、自分で再起動するぐらいの規模だった。

これをやり始めてから、親に「シャンプー欲しい」と言う回数が、目に見えて減った。

月3000円が全額消える月もあれば、少し残る月もある。金額より、**「家計の支出項目じゃなくて、家計に少しだけ貢献する側の人間」**になれた感覚の方が大きかった。

自分で引く小遣いは、もらう小遣いより重い

これは後から思ったことだけど、

同じ3000円でも、体感の重さがぜんぜん違う

前者は、「ありがたい」と「申し訳ない」が同居してて、使うたびに罪悪感が混じる。

後者は、ただの金。ありがたいも申し訳ないもない。ただの、自分の金。

この違いが、毎月の精神的な消耗を、びっくりするぐらい軽くする