自分の苦しさ

自尊心の穴を、少しだけお金が埋めた

自尊心、って言葉はちょっと重すぎる。

引きこもってた頃の自分に「自尊心を取り戻そう」と言われても、たぶん鼻で笑って終わりだった。

自尊心の話を読むと、余計にへこむ

引きこもり系の本とか、メンタル系のサイトを読むと、よく「自己肯定感」「自尊感情」みたいな言葉が出てくる。

出てくるんだけど、読めば読むほど、その言葉の距離の遠さにへこむ

書いてる人は善意なんだと思う。でも、自尊心の穴に落ちてる本人には、そこからの梯子が全部ちょっとだけ短い

穴は、埋めようとしても埋まらない

自尊心って、持とうとして持てるもんじゃない、って思う。

「自分には価値がある」って自分で何回唱えても、あんまり効かない。むしろ、唱えるたびに、「じゃあその価値って具体的に何?」という問いが返ってきて、答えられなくて余計へこむ

家族や友達に「お前はダメじゃない」と言ってもらっても、同じ。もらったそばから、自分の中で**「いや、ダメだろ」って打ち消す声の方が強い**。

この穴は、言葉では埋まらない。

300円の、妙な手応え

自分にとって転機だったのは、ポイ活で最初の数百円を稼いだ時のこと。

金額で言えば、300円ぐらい。ジュース2本分。

でも、その300円をコンビニで使った日、妙に腹が満ちた。弁当買ったわけじゃない。ただ、「自分が引いてきた金で、自分の欲しいものを買った」という事実だけがあった。

そのときに気づいた。

自分が欲しかったのは「自尊心」じゃなかった。「自分で何かを動かせた、という小さい手応え」だった。

言葉で「お前には価値がある」と言われるより、300円を自力で持ってきた事実の方が、穴を少しだけ埋める力があった。

全部埋めなくていい

もうひとつ、ここで気づいたことがある。

自尊心の穴って、全部埋めようとしなくていい

穴が空いたままでも、穴の周りの面積を少しずつ広げていけば、生きていける。

前者はたぶん無理。後者は、ポイ活みたいな「誰にも会わずにできる小さいこと」で、意外と実現できる。

自分は今でも、自尊心が高い人間ではないと思う。でも、穴の周りに、少しだけ自分で作った床があるような感覚がある。

その床は、ぜんぶ自分が家の中で、誰とも話さずに作ったやつだった。

肯定されることより、動かせる実感

引きこもりに必要なのは、肯定じゃない、と自分は思ってる。

肯定はあとからでいい。先に必要なのは、「世界の中で自分が何かを少しだけ動かせた」っていう、素朴な手応え

それは別に、大きい実績じゃなくていい。

どれも、他人から見たら「は?」って言われるレベルの小ささ。

でも、穴の中にいる自分にとっては、この小ささぐらいしか、安全に触れるものがない

「自尊心を高めよう」の前に、「自分で動かせる小さいもの」を一個ずつ増やしていく。