「働け」と言われるのが怖かった
引きこもりをやってて、一番怖かった言葉は「働け」だった。
暴言じゃない。むしろ、家族からの、至って真面目な、善意半分混じった一言ほど怖かった。
「働け」は、責めてる訳じゃない時ほど刺さる
親やきょうだいから「働け」と言われる時、大体の場合、
- 怒鳴られてるわけじゃない
- 説教モードじゃない
- 淡々と、当たり前の事実として言われる
この温度の「働け」の方が、圧倒的に刺さる。
怒鳴られた場合は、感情的な反発で跳ね返せる。「うるさい」で処理できる。
でも、静かに、事実確認みたいなトーンで言われた「働け」は、反論の取っ掛かりがない。
「働け」というより、「働いてない事実を、今、共有されてますよ」という通知に近い。
通知は、消せない。
なんで「働け」が怖かったのか
当時の自分にとって、「働け」の怖さを分解すると、
- 動けない自分を、直視させられる
- 「働けば解決する」という、安易な図式に従わされる感覚
- 働こうとして潰れた過去が、否定される気がする
- 「働けない」と答えた時の家族の顔が、さらに怖い
特に二番目と三番目が、重い。
引きこもってる自分は、たいてい、過去に「働こうとして潰れた」経験がある。学校、バイト、就活、会社、どこかで。
その経験を踏まえて今引きこもってるのに、「働け」の一言で、その過去ごと「甘え」に変換される感じがする。
言ってる側はそんなつもりじゃなくても、受け取る側では、自分の過去が否定された感覚になる。
「働け」に、正論で返さなくていい
長いこと、自分は「働け」に対して、正論で返そうとしてた。
- 「働きたくても、今は無理」
- 「精神的に準備が整ってない」
- 「仕事探してる」
どれも、嘘じゃないつもりで言ってた。
でも、正論で返すと、議論が始まる。
議論が始まると、引きこもり側は負ける。エネルギー量が違うし、論理で相手を説得できるぐらいなら、そもそも引きこもってない。
議論に負けると、「やっぱりお前の言い分は甘え」の結論に流れる。そして自分のエネルギーが数日分削れる。
「働け」に正論で応答しない。これが、自分が辿り着いた一番の防御だった。
「うん」「そうだね」で返すことの技術
当時の自分が、「働け」に対してやってた返事は、基本的に、
- 「うん」
- 「そうだね」
- 「今、ちょっと考えてる」
これを、表情変えずに、淡々と返す。
議論にしない。反論しない。同意もしない。ただ、会話を継続させない。
これは、親に対する反抗じゃなく、自分のエネルギーを守るための、技術的な対応。
反抗すると、こっちが消耗する。正論で反論しても、こっちが消耗する。
「話題を続けさせない返事」で、会話を短く終わらせる。それだけで、数日分のエネルギー損失を防げる。
「働け」が弱くなった、意外な要因
ここからは希望的な話。
「働け」の頻度が、自分の場合、ある時期を境にかなり減った。
きっかけは、ポイ活や在宅でちょっと稼げるようになって、それを親がなんとなく察し始めた頃。
直接は言わなかった。月の稼ぎの金額も言ってない。
でも、
- 家の中で何か作業してる時間が増えた
- コンビニで自分の金で買い物する頻度が増えた
- 親の財布から日用品をもらう回数が減った
この辺の変化を、親はなんとなく察する。
察した頃から、「働け」が「何してるの?」に変わって、「何してるの?」が徐々に消えていった。
完全にゼロにはなってない。でも、以前の刃物みたいな鋭さは、だいぶ丸くなった。
「働いてる」の定義を、自分で広げる
もうひとつ、自分の中で変わったのは、「働いてる」の定義を自分で広げたこと。
以前は、「働いてる=会社に勤めてる、もしくはフルタイムで外で働いてる」と、勝手に定義してた。
この定義だと、引きこもりで月3万円稼いでる自分は、「働いてない」。
でも、**「働いてる=自力で何らかの金を引いてきてる」**と定義し直すと、月3万円の自分は「働いてる」側になる。
親の定義は、たぶん前者。自分の定義は、後者。
他人の定義に自分を合わせ続けると、いつまで経っても「働いてない」側から動けない。
自分の定義を自分で決める。これをやってから、「働け」という言葉の刺さり方が、目に見えて弱くなった。