自分の苦しさ

「何もできない自分」が、溶けた瞬間

引きこもってた時期、自分を一番削ってた言葉は、親や世間からの言葉じゃなかった。

**自分で自分に言ってる「何もできない」**だった。

「何もできない」は、事実みたいな顔をしてくる

朝起きて、顔を洗って、座った瞬間に、「今日も何もできない」と頭の中で鳴る。

これが、何年も続いた。

厄介なのは、この声が感情じゃなくて、事実みたいな顔で来ること。

ただの気分の落ち込みじゃなくて、履歴データに基づく客観的判断みたいな形で、自分の中に居座る。

反論が難しい。実際、何もできてない事実はある。

励ましは、効かない

この状態の時、家族や知り合い(オンラインの)から、たまに励ましをもらった。

全部、善意で言ってくれてるのは分かる。

でも、「何もできない」の声には、これらの言葉がほぼ届かない

理由は、抽象的な励ましは、「何もできない」の具体性に負けるから。

「今週も何もできなかった」という具体的な事実に、「ゆっくりでいいよ」という抽象的な言葉は、重さで負ける。

「できたこと」のリストが、一個でもあれば変わる

自分の場合、この「何もできない」の塊が最初に少しだけ緩んだのは、ポイ活で初めて300円を受け取った日だった。

300円。

金額じゃない。

「今月、ゼロじゃない数字を、自分で出した」という事実が、できた。

そこから、「何もできない」の声に対して、初めて、具体的な反証が手元に残った。

ぜんぶ微々たる数字。でも、「できたことリスト」に数字が並んだ瞬間、『何もできない』が事実じゃなくなった

少なくとも、今月300円は作れた。それは、ゼロじゃない。

「できた」が、小さければ小さいほど効く

ここが、自分にとってはけっこう大事な気づきだった。

「できた」は、小さければ小さいほど、むしろ効く

大きい「できた」は、再現性がない。月10万円稼げた月があっても、来月稼げなかったら、また「何もできない」に戻る。

小さい「できた」は、毎月確実に積める。月500円でも、10ヶ月続ければ10個の「できた」が手元に残る。

「何もできない」の塊を溶かすには、大きい正解じゃなく、小さい事実の積み重ねの方が効く

「できた」の種類を増やす

ポイ活の300円が最初の一個だった。そこから、少しずつ「できた」の種類が増えた。

大したことない。本当に、他人から見たら「は?」って言われるレベル。

でも、「何もできない」と自分で言った時に、その声に反証する事実が、手元に何個か並んでる状態になる。

反証があると、「何もできない」の声は、少しずつ勝ち目がなくなる。

「溶けた」じゃなく、「小さくなった」

この塊が完全に消えたかというと、消えてない。

今でも、月に何日か、「何もできない」が戻ってくる日はある。体調が悪い時、成果が出ない月、寝不足の朝。

でも、塊のサイズは、だいぶ小さくなった

以前は部屋全体を占めてた塊が、今は手のひらサイズになってる、ぐらいの違い。

塊は残ってるけど、塊以外の場所で、自分は動ける。

完全に溶かす必要はなかった。周りが広がれば、塊と共存できる。