お金の苦しさ

「買って」が言えなかった話

子どもの頃は「買って」って普通に言える。

大人になってから引きこもってる自分は、「買って」が、一番言いづらい言葉になった。

「別にいらない」が増えていく

欲しいものがあるのに、親に頼めない。

頼めないから、どうするかというと、自分の中で「別にいらない」ってことにする

これを何年か続けると、欲しい、という感情そのものが鈍くなる

最初は「本当は欲しいけど言えない」だったのが、途中から「別に欲しくない、ことにしてる」になって、最後は「何が欲しいのかわからない」みたいな状態になる。

ここまで来ると、引きこもりとしての生活は楽になる。でも、人間としての生活が、なんとなくガス欠みたいになる

「買って」のどこが一番しんどいのか

この言葉が言えない理由、最初は自分でもよく分かってなかった。

金額の問題じゃない。1000円ぐらいの漫画なら、親はたぶん「いいよ」と言う。

問題は、「買って」と言うと、自分が何歳になっても親の扶養下にいるっていう事実が、その場で確定することだった。

「買って」の後に、この三つが連鎖的に自分の頭の中を駆け巡る。その重さに耐えるぐらいなら、漫画なんていらない、になる。

だから、「買って」が言えない、っていうのは、買いたい以上に自分の現状を直視したくない、っていう逃避でもあった。

ポイ活で300円貯めて、漫画を買いに行った日

引きこもってた時期の、たぶん一番印象に残ってる買い物がある。

ポイ活でコツコツ貯めたポイントを、Amazonギフト券に換えて、漫画の新刊をポチった日のこと。

値段にして600円ぐらいの、しょうもない買い物。

でも、Amazonで注文確定ボタンを押した瞬間の感じは、今でも覚えてる

誰にも許可を取ってない。親に頭を下げてない。自分が決めて、自分の金で、自分の欲しいものを買った。

届いた漫画を、いつもの二倍ぐらい大事に読んだ。内容が特別だったわけじゃない。買い方が特別だった。

「買って」を言わなくていい生活

そこからは少しずつ、自分のお金で買うものの範囲が広がっていった。

全部、親に「買って」と言わずに済むようになった。

親はたぶん、気づいてた。気づいてたけど、何も言わなかった。それも、今思えばちょうどよかった。

「買って」を言わずに済むことは、「買える金がある」ことよりずっと心が軽かった

金額の問題じゃない、の具体

よく「お金があっても幸せになれない」みたいな話があるけど、引きこもり文脈だとその逆の話がある。

少しの金でも、出どころが自分なだけで、幸せ方向に効く

月1万円でいい。5000円でもいい。自分で引いてきた金なら、それは**「買って」を言わなくていい1万円**として、親から渡された10万円より重くなる。

引きこもりに必要なのは、大きい金じゃない。「買って」を言わなくていい、小さい金のほう。