ゲーム課金を隠してた頃の引け目
引きこもってた頃、ゲームが唯一と言っていい逃げ場だった。
その逃げ場に、親の金で課金することの罪悪感は、ゲームの楽しさの半分以上を削っていた。
「これ課金したの、親の金なんだよな」
ゲームやってる時、楽しい瞬間ってある。ガチャでいいキャラ引いた、新しいコンテンツ解放された、友達(オンラインの)と一緒にクリアした。
でも自分の場合、楽しい瞬間の裏に必ず「この金、親からもらったやつなんだよな」が張り付いてた。
- 月3000円の課金パック買った → 親の財布から出た3000円
- ガチャ10連回した → 親の金で、ゲームの虚無に消えた
- 月額の有料会員に入った → 自分は働いてないのに、月額の支払いをしてる
これが、楽しむたびに、うっすら来る。
課金しなきゃいいじゃん、と言われる。その通りなんだけど、引きこもり期にゲームから課金を抜くと、生活のハイライトがほとんど消える。
引きこもりにとってのゲームは、娯楽以上のもの
ゲームを「娯楽」「遊び」としか見てない人には分かりにくいんだけど、引きこもってる人にとってゲームは、
- 一日の時間を埋める仕事
- 人(オンラインの仲間)との唯一の接点
- 達成感をもらえる数少ない場所
- ストレス発散と、ストレスの発生源の両方
つまり、社会における「会社」「友人関係」「趣味」「居場所」の何割かを、ゲームが代行してる。
そこに課金するのは、社会人が家賃や交際費を払うのと、意味の重さとしては近い。
「ゲームに課金するな」は、社会人に「家賃払うな」と言うのと、ちょっとだけ似てる。
でも、親の金で払うのはしんどい
とはいえ、親の金で払ってる事実は、やっぱりきつい。
自分は家計に貢献してない。なのに、ゲームという、親から見たら無価値に見えるものに、月数千円〜1万円を溶かしてる。
親は何も言わないかもしれない。でも、自分の中で、それを言葉にして責める声が、定期的に鳴る。
「お前、ゲームに課金する金があるなら、働け」
これを親に言われるのが怖くて、課金が親にバレないように気をつけてた時期もある。親の財布から買い物した時のお釣りをちょろまかしてプリペイドカード買う、みたいな、我ながら情けないこともしてた。
ポイ活の金で初めて課金した日
転機は、ポイ活で貯めたポイントを、Google Play のギフトコードに換えて、その金でゲームに課金した日。
金額にして、たぶん3000円分ぐらい。
ガチャを回した。出たキャラは、大したレアでもなかった。
でも、回してる手の感覚が、今までと全然違った。
- 誰の金でもない
- 誰にも後ろめたくない
- 外れても、自分の責任で完結する
当たりが微妙だったにもかかわらず、「自分の金で回したガチャ」は、今までで一番楽しい10連だった。
課金は減らさなくていい、金の出どころを変えればいい
この経験から気づいたのは、引きこもり期の課金問題は、「課金額を減らす」じゃなくて「金の出どころを変える」で解決するということ。
世間的には「課金をやめろ」「課金額を減らせ」というアドバイスが多い。
でも、引きこもりにとってのゲームは生活の一部だから、課金を減らすのは、生活の一部を削るのと同じ。それはしんどい。
代わりに、同じ課金額でも、金の出どころを親から自分に切り替える。
- ポイ活のポイント → Google Play / App Store / Amazon ギフト券
- 換金→ そのまま課金
- 親の財布は一切経由しない
やってる課金の額は変わらないのに、課金するたびの罪悪感が消える。
ゲームが、ちゃんと逃げ場として機能するようになる。