外の苦しさ

宅配便が怖かった頃の話

引きこもりは、ネット通販に頼る。頼らざるを得ない。

でもそこには、避けて通れない関門がある。宅配便の受け取りだった。

インターホンが鳴ると、心臓が跳ねる

家で一人で過ごしてる時、インターホンが鳴る。

普通の人なら「宅配だな」で終わる。

引きこもり期の自分にとっては、インターホンが鳴った瞬間に心臓が跳ねて、その後数分はドキドキが続く、みたいなレベルだった。

この4つが一瞬で頭の中を駆け巡る。

玄関まで歩いていくあいだ、既にエネルギーを3割ぐらい消費してる。

居留守してた時期

一番ひどい時期は、普通に居留守してた。

これを、週に何回もやってた。

配達員の人には申し訳なかった。今考えると、何度も再配達させて、完全に迷惑な客だった。

でも当時は、玄関で知らない人に「はい」と返事する数秒が、マジで、無理だった。

置き配で、状況が一気に変わった

転機は、置き配が普通になったことだった。

Amazonが置き配を標準にし始めた時期、配送オプションで「玄関に置く」が選べるようになって、自分の宅配便事情は、ほとんど革命的に変わった

「誰にも会わずに、物を手に入れる」が、文字通り完全に実現した瞬間だった。

置き配が普及する前のオンラインショッピングは、「物を届けてもらう代わりに、配達員と対面する」という税金を毎回払ってた感じがある。置き配は、その税金を限りなくゼロにしてくれた。

ヤマト・佐川・郵便、それぞれの対策

置き配がまだ選べない荷物もある。そういう時に自分がやってた対策。

全部、対面を避けるための迂回路

こういう「対面を避けるための選択肢」が、ここ数年で劇的に増えた。引きこもりにとってはかなりの恩恵だと思う。

配達員への罪悪感について

置き配や営業所受取を使う時、最初の頃は**「配達員に手間かけさせてる」罪悪感**があった。

「対面で受け取った方が、配達員の仕事は楽なんじゃないか」と思ったりして。

でも実際には、

こちら側が勝手に想像してた罪悪感は、ほとんど実態と合ってないことが多かった。

「自分が受け取らないと配達員に悪い」は、引きこもりが自分を追い詰めるための思い込みだったりする。

インターホン、鳴るたび怖い、のまま

ちなみに、今でもインターホンが鳴るのは、正直ちょっと怖い。

配達員じゃないと確実な時(知り合いが来ることが分かってる時)は平気。でも、予期してないインターホンが鳴ると、一瞬緊張する。

これは、たぶん一生、完全には治らないと思ってる

でも、完全に治らなくても、生活は回る

この3つで、だいたいなんとかなる。

治さずに、回避すればいい。